言葉はイメージを再現するための記号です。
つまり、言葉はイメージ(多くは視覚イメージ)を再現するためのトリガー(引き金)にすぎないということです。
私達は、言葉ではなくイメージで考えているからです。 このことを知らなければ教育は失敗します。
(糸山泰造先生著書 思考の臨界期・e-BOOK縮刷版p1より引用)
糸山泰造先生著書 最初に選びたい学習方法p25より引用
今すぐにできることは、子供たちに「分かる」「考える」とはどういうことかを、具体的に教え、練習をさせることです。
難しいことではありません。「ゆっくり・じっくり・丁寧に」文字(文章)・言葉を絵にしていけばいいのです。
を練習できるようになっています。
文を絵に描きおこす。答えが「見える」まで絵を描き直す。絵を動かしていく作業を通して、子供達は具体的に「分かる」とは、「考える」とはどのようにすることかを学ぶのです。
ひかり学園グループの放課後等デイサービスでは、どんぐり倶楽部の「絵で解く算数文章問題」(=どんぐり問題)により、子ども達の考える力の養成を行っています。 学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、自閉症、ダウン症等、発達障害と診断されていても、算数の文章問題を絵で解きながら「考える方法」を楽しく学んでいますよ。
糸山泰造先生著書 最初に選びたい学習方法p25より引用
思考回路というのは、子供自身が何かを工夫した時に生まれます。今の大人が子供だった頃は、生活と遊びの中で工夫をする機会がたくさんありました。
つまり、日常生活の中でさまざまな思考回路をつくることができていたのです。
しかし、今はご飯を炊くことも、お風呂を沸かすことも、遊ぶことさえもボタンひとつの操作で済んでしまいます。日常生活の中で工夫をする余地はほとんど残されていないと言ってもいいでしょう。
ひかり学園の放課後等デイサービスでは、日々の活動においては自然が多い緑地、河原、野原での外遊び。 祝日や長期休業期間においては昆虫探し、魚釣り、野菜・果物の栽培と収穫、焚火で焼き芋、雪遊び等、様々な体験的学習に出かけています。
出かけて行った先で、普段はできないことが多い「石投げ」「穴掘り」「石垣登り(=リアルボルダリング)」「泥んこ遊び」等々を、のびのびと楽しむ姿は本当にキラキラしています。
自然を相手に子ども達は幾度も挑戦と失敗を繰り返しながら、自発的に創意工夫して楽しんでいます。
ひかり学園の放課後等デイサービスでは、通所する度に1日30円がもらえます。そのお金でその日の自分のお菓子を買います。
お菓子は5円から100円のものまで様々ありますので、好きなお菓子を買うこともできますし、貯金することもできます。貯金ばかりする子は、毎回いくら貯まったのか確認しています。面白いですね~。
子ども達が本物(本物に近いひかり学園コインを使用します)を扱って楽しくお買い物を体験することで、「お金」について学ぶ機会を設けています。
※お菓子代金及びコイン代金はいただいておりません。
糸山泰造先生著書 12歳までに「絶対学力」を育てる学習法P231より引用
工夫ができる状態で自分から進んで楽しくできるものなら、健康に害がない限り何でもけっこうです。
十二歳まで(とくに九歳まで)の子どもにとっては、遊びは時間つぶしではありませんし、そうさせるべきではありません。
なぜならば、主体的な活動とは、次々に新しいイメージ操作(遊びの場合はおもに体を操るためのイメージ操作)モデルをつくりつづけている状態だからです。(思考回路作成とまったく同じです。)
もちろん、室内でもけっこうですが、外(自然)のほうが状況変化が格段に複雑です。ということは、その変化に対応するためのモデル作成も格段に多くなるということです。
つまり、学力の素がどんどんつくられるということです。
だから、好きなことを目いっぱいした人のほうが、本格的に勉強をはじめると一気に成績が上がります。
当たり前のことです。やる気の問題でもありませんし、偶然でもありませんし、才能でもありません。下準備をしているからです。
反対に、どんなに遊んでいても、「主体的」でなければ学力養成にはならないんです。
とくに遊ばせられているような受け身のときには(いやいやさせられている・楽しくない・決められて・義務的に)、自分からつくりだす多種多様な視覚イメージは出てきませんから、学力養成にはなりません。
遊びの量や種類には、ほとんど関係ありません。「させられている遊び」は有害なのです。